
ジムカヴィーゼル見たさというのもありましたが、
どうせならと思い、このために必死に読みました。
聖書を。
聖書の感想なんて書くのおそれおおくて気が引けますが、
こんな感じ。
マタイによる福音 → ちょっと読みづらかった・・・(後の3つの福音を読んで意味が繋がったこと多し)
マルコによる福音 → 映画の画が浮かんできた。一番読みやすかったかも
ルカによる福音 → 悪魔(サタン)描写が結構多い。結構読みやすい。
ヨハネによる福音 → 映画に近い。小説風で感動する。
結局同じ話が4度繰り返されるんですが、全部読み終えたときには、
それぞれの不足が補えあえて一つの話が浮かんできます。
パッションの見るに堪えかねるシーンが続く中、過去のシーンがいくつか挿入されます。
これが一回目に観たときはほとんど意味が分からなかったのだけど、
すべて聖書に書かれていたことでスッキリしました。
一番なるほどと思ったのが、
ユダに裏切られて連れてこられて、不当なやり取りの中、イエスが何をしたか申し立てろという問いの答えに
こんなこと言ってましたよ!といいつけてた言葉。
「神殿を壊して、3日で建て直してみせる」
この”神殿”は、イエス自身のことを指していて、これから起こることを予言していたということ。
・・なるほど。
マグダラのマリアがイエスの足元にひれ伏しているシーン。
周りの人が石を投げ出して去っていくこのシーン。
これも意味が分からなかったのですがイエスが行った福音の一つだったようです。
ここにわかりやすく載っていましたので知りたい方はどうぞ〜。
あと、最初のシーンでイエスが汗を流して怯えながら祈っているシーン。
人間としてのイエスの恐怖だったんだなあと。
そしてその後神の子であるイエスは父の御心のままにと決意を新たにする。
このシーンが一番感動的だったかも。
イエスも恐怖を感じ、痛みも感じたんだなぁと。
印象的だったのは、十字架を背負って歩いている時に挿入された過去のシーン。
ロバの上からの視線で両脇は歓迎の笑顔を浮かべている人々で埋め尽くされているシーン。
この映像の対比がすごく恐ろしかった。
全体的に二回目だからか、聖書を一気読みして寝不足だったからか、前回感じたほどの衝撃は感じませんでした。
その代わり落ち着いて見れたわけですが、サタン(悪魔)がちょっと浮いているような気がしてしまったのは気のせいでしょうか。
サタンが抱いていた子供は誰だったんだろう。
この映画で聖書を読むことが出来たし、知らなかった画家にも触れることが出来た。
私にとってこのパッションはかなりの影響力をもったということになると思う。
パッション特集ページ(メル・ギブソン・ファンサイト)
このサイトは凄い。掲載雑誌の全(?)ページ紹介付き。
ダブルキャストのイエス役も見れるし。
裏返しになった十字架の機械仕掛けの姿も。
石井希尚プロデュース「パッションサイト」
基礎知識が面白いかも
CARAVAGGIOについてのサイト
映画「パッション」特別企画があって興味深いです。
今までのパッション記事。
・「パッション」と画家カラヴァッジオ
・「パッション」の思わぬ副作用
・鑑賞記:「THE PASSION」...キリスト最後の12時間
・鑑賞予告:「THE PASSION」...キリスト最後の12時間
幼稚園がカトリック(ただし家は法華宗で大学はプロテスタント)だったので幼い頃から聖書は読んでいました。
なのであのシーンがここに、と感慨深いものがありました。
人間イエスを再現するならまさにこんな感じだったのではないかと思うほどリアルでした。
「汝の敵を愛せよ」と言うは易し行うは難し。
「汝を迫害するものを愛せよ」。
イエスの激しい受難の映像を見ながら、まさにこの言葉を実践すべくイエスは受難を受けて立たれたのだと思えてきました。
2004年前にこのことをイエスは実践されそして復活されたにも関わらず、その教義をゆがめて宗教の名のもとに未だに争い民族紛争をしている現代。
この作品をして「反ユダヤ主義を高めるのでは」という気具もあったと聞きましたが、何をかいわんや。
本当に語られるべき事が語られず未だに憎しみ合おうとするなんて、人間って哀しい迷える子羊ですね。
罪を犯した後初めて自覚し自ら首を吊ったユダの絶望と苦悩にも泣きました。
ペテロもまた3度イエスを知らないと言う罪を犯した後に真理に目覚めた。
罪を犯した事を責めても仕方がない。
己を知り目覚める事こそ大事だというその事を改めて感じました。
さて余談になりますが、凄まじいシーンが多いながら、過去の回想で見るイエスの顔がとても優しく癒された事です。
マリアも慈愛に満ちた表情が美しかったですが、このジム・カヴィーゼルと言う俳優さん素敵ですね。
言葉が全てラテン語とアラム語ってのもいい。
だって役名見たら英語で「マリー」「ジョン」「ピーター」ってなってるんですもの。
やっぱり「マリヤ」「ヨハネ」「ペテロ」って発音して欲しいですからね。
やはり小さい頃から慣れ親しんできた話が映像となるって感慨深いものでしょうね!
>「汝を迫害するものを愛せよ」。
これは言葉だけ知っていましたが、今回すさまじい責め苦を受けてさえ「この人たちは何も知らないのです」と迫害者たちを祈るイエスを見て、はじめは困惑しました。
この考え方、確かに素晴らしいのだけど、私には絶対無理な考え方だ、と最初思いました。でも色々考えたり、二回目のパッションを観た後で少し考えが改まりました。
難しいけれどそれを意識することによって何かが変わるなと。
否定するよりもまず受け入れること、Chigusaさんのおっしゃられたように、己を知り目覚める事の大切さを感じることが出来ました。
私にとってこんなに色々考えさせられて発見があった映画も珍しいです。
人間イエス正にジムカヴィーゼルマッチしてましたね。色々なところでいわれている通り、イニシャルがジーザスクライスト、と同じだし、年齢も同じだし、と色々符合する点があったようで。
>過去の回想で見るイエスの顔がとても優しく癒された事
確かにそうでした。ふっと画面が切り替わったときの雰囲気は印象的です。
弟子の足を洗っているところや、手を広げて語っているところ、など安堵感やふわりとした清らかさみたいなものを感じました。(逆にだからこそ残虐性が引き立つのかもしれません)
>だって役名見たら英語で「マリー」「ジョン」「ピーター」ってなってるんですもの。
あ、そうなんですか?それは「マリヤ」「ヨハネ」「ペテロ」の方が絶対いいですね。
名前といえば、ユダの裏切りのくちづけのときのイエスの「ユダ」の声が印象的で忘れられません。
「ジューダ」っていうかんじでなんともいえない声色が・・・。